株式会社常磐ボーリング

コラム

コラム

見た目の判断、その2 ―レクサス店で思うことー

2022年6月13日

すこし前のことですが、勇気を振り絞ってレクサス店へ行ってみました。ご承知の通り高級車を取り扱っているお店です。お客様駐車場にバックで駐車しようとしたら、綺麗なお姉さまが出てきて、オーライ、オーライの声と親切な誘導。ちょっとエレガントな気分を味わいながら、来店の要件を伝えると店内に親切に案内してくれました。

静かな店内で、ひそひそ話も聞こえてしまいそうな感じ。待ち時間の間にコーヒーをどうぞと、出てきたコーヒーは、紙コップではなく、綺麗なコーヒーカップ。紙おしぼりだけど、袋にはLEXUSの文字がプリントされて、おまけに紙製のマスクを入れるケースがでてきました。

コーヒーを飲みながら、高級なレクサク車がズラ~っと並んだ外を眺めていたら、ただいま季節のお菓子で桜餅をご用意できますがと、お姉さまの再登場。少し恐縮しながら、お願いしたら、美味しそうな桜餅が出てきました。塩味がほんのり利いたシソの葉が、甘さを引き立てます。甘いものが好きな自分なので、一気に食べてしまいました。

見た目で判断してはいけないと思いながらも、レクサス車に乗って来店する人を見てると、レクサクというブランド力なのでしょうか?リッチにも見えるし、自分のひがみ根性からでしょうか?少し見栄っ張りにも見えます。

でも、レクサス店へ行ってみたら、自分も少しリッチな気分を味わえた、ちょっと癖になりそうな、ひとときでした。

アレ・クサス

見た目の判断

2022年5月23日

世間では建設業を、見た目でどう判断しているのでしょうか。無論3K労働の業界ということは言うまでもありません。「きつい」「きたない」「きけん」、汚い上に危険できつい労働!これではまさに、人生の成れの果ての業界とのイメージしかありません。

話は変わって最近、「ルッキズム」という言葉を時折耳にします。日本語では外見至上主義というのだそうで、見た目で判断してしまうことを称しています。外見で判断することは、いけないことなのか、いったいどうなのでしょう。美男美女に生まれた人は、生きていく上で特をする気がします。でもそれをあえて強調した表現をするから、ルッキズムということで、批判されることになるのだと思います。しかし、見た目とは人に大きな影響をあたえることではないでしょうか。特に第一印象が良いイメージであれば、その後のアクションや交渉においても有利に働く気がします。

また建設業の話に戻りますが、工事中の看板を見て、余計な事をしやがってと印象を持たれる人がいると思います。しかし工事を行っている側の意見は、あえて他人に迷惑をかけようとして仕事はしていません。確かに通行している車両を止めて、渋滞を引き起こすこともあったり、大きな音をたてたりして、迷惑をかけている場合もありますが、その地域のライフラインや道路、建物などの設備を良くするために行っていることを理解して欲しいです。

見た目が綺麗な野菜、果物は普通に流通して、見た目が悪いものは、規格外として扱われるこのご時世です。そんなことの延長で、建設業の人は勉強もしないで、成績が悪かった人間の集団というようなことで見ないで欲しいです。

ルッキズムはいけないことだと思う人、その人は建設業に対して、自らルッキズムしてませんか?
見た目の判断、建設業者は決して危険人物の集まりではありません。よく見てください結構まじめで、イケメンの人が多いですよ。

アレ・クサス

コロナ規制緩和でのゴールデンウイーク

2022年5月9日

世界では屋外でのノーマスクが徐々に当たり前になり、感染者数のニュースをあまり聞かなくなりました。

でも日本ではまだ、コロナの感染者数が報道されている今日この頃ですが、その規制が緩和されて、人々が行楽を楽しむ、ゴールデンウイークが始まり、車で1時間半ほどで行ける、ひたち海浜公園に行ってみました。
知っての通りこの時期は、ネモフィラとよばれる青い小さな花が一面に咲かせることで有名です。国営と称されるだけあってか、この公園は、かなり大きな敷地面積でもあります。駐車場から歩いてネモフィラが咲く丘まで歩いて向かいますが、結構な距離がありますので、足の悪いお年寄りには少し過酷かもしれません。

自分の記憶では、この公園は大きく分けると観覧車やジェットコースターのある公園と、サイクリングを楽しむ公園の2つになっていたと思います。実に約20年ぶりにこの公園を散策しましたが、随分変わった気がしました。その一つは、ネモフィラの咲く丘まで歩いて向かう途中に、キッチンカーを多く含む飲食店があちこちに立ち並んでいることでした。ただ広い公園内を歩くだけではなく、帰りになにを食べようかな?と楽しませてくれます。どれを見ても、とてもお洒落で美味しそうですし、食べてみると美味しいんです。

さておき、ネモフィラが一面に咲いている風景は、少しコロナ禍でつかれた心を癒してくれました。風が少し冷たい感じがありましたが、ちょうど天気も良かったですし、いい気分転換ができました。公園内はかなりの人出だと思うのですが、敷地が大きな分、密にもならず、あまり混雑しているようにも感じない気がしました。

帰り掛けに、ランチの時間には少し早かったのですが、屋根のある場所で、3色おにぎりとデザートにネモフィラ色(水色)したカッブソフトを食べてみました。どちらも美味しかったですが、食事中に、10分間くらいのにわか雨が降りだしたのには驚きました。傘も持たずに行きましたので、ネモフィラのある丘で、散策中に雨が降ってこなくてラッキーでした。この公園に行くときは、傘かシートなどを持っていくべきですね。

アレ・クサス

桜が満開!

2022年4月12日

会社から見える、スパーリゾート・ハワイアンズの桜がとても綺麗です。ハワイアンズの敷地内にはかなりの桜の木が植えられています。その桜が一斉に咲き始めて満開です!今年は3月まで寒さが長引いたためか、去年よりは遅いなあと思っていたら、4月になったら急に暖かくなり、一気に咲き始めて、あっという間に満開になりました。

このところ暗いニュースが多いので、気が滅入っている毎日ですが、桜があまりにも奇麗なので、写真を撮ってきました。花は人の心を癒してくれますね。ただコロナが集束しないので、お花見会とはいかないけど・・・

来年は気兼ねなく、花見ができるようになると良いですね。

平和であってほしい

2022年4月11日

大正生まれの自分の両親は、太平洋戦争の経験者でした。自分が子供のころに、戦争とはいかにひどいものであったことをよく聞かされました。この日本においても、戦争とはそれほど古くない歴史の中で起こった、紛れもない事実なのです。

自分が中学の頃だっただろうか、父が「なんて贅沢な世の中だろう」と言ったことを、今でも思い出します。当時の自分は何気なく聞き流していましたが、ここにきて、戦争を伝えるニュースを見ていると、当たり前のように送っていた文化的なこの日常生活が、突然奪われてしまうことがあるのだと気づかされます。

ウクライナで起こっている戦争は、まさに恐怖です。経済戦争とも言われ全世界を巻き込んで、この先は一体どのような時代になってしまうのでしょうか、これからの先行きが凄い不安になります。

会社があって、仕事をして、つらいこともあったり、愚痴を言ったり、怒ったり、泣いたり、喜んだりが当たり前のことだと思っているけれど、当たり前に送れる日常への感謝の気持ちを、忘れてはならないと思います。

平和であることがいかに幸せなことか、日々感謝しながら生きて行こうと思います。これからも平和な時を過ごせるように願うばかりです。

争いのない平和

コロナ、開き直り

2022年4月5日

コロナ感染症、この言葉を聞いてから、随分時間がたちました。若い世代にとっては、ストレスをどう発散するべきか。楽しい時代であるはずの、学生達は色々なイベントが中止になり、思い出が何も残らない。こんなことが実際に起きるとは想像もしなかったですね。

我々の生活の中で、「コロナ疲れ」と言って、我慢の限界を感じる今日この頃。日々仕事に追われ、帰宅前に居酒屋に立ち寄って一杯飲もう!これが出来なくなっただけで、何だか人生損をした気分になります。

蔓延防止対策が解除になり、誘惑に負けて夜の街へ。それでも対策は厳守!翌朝、目が覚めて生きていることに感謝。でも、少しでも喉がおかしい、いやおかしい気がする?熱は?と神経質になっている自分がいるのは気が小さいから?

なにも命を削ってまで、酒飲みに行かなくてもいいのでは?と、翌日になってから悩む、今日この頃。

ソーム

ハラハラ

2020年5月14日
いつの間にか〇〇ハラスメントという言葉が急増し、どれがハラスメントでどれがセーフなのか全くわからなくなってしまった今日このごろです。

セクハラとかパワハラぐらいなら結構昔からあった気がするので、存在自体はずっと前から知っているみたいな感じでしたが、社会人になり、時代は変わるものでハラスメントに対しては理解を深めて行かないと、思わぬところで相手に不快な気持ちを抱かせてしまうことがあるかもしれませんね。

しかしながら、エレクトロニックハラスメントとかヌードルハラスメントとかハラスメントハラスメントとかちょっと何いってんのかわかんないヤツもありますから、難しいといえば難しいです。
パワハラとかセクハラなら、なんとなくこれはダメそうという線引はできそうな気がしなくもありません。これは随分前からありますしね。それぞれの定義もちょっとずつ変わってきているので、一概に言えない部分もありそうですが、明らかにダメだろというのもあるわけで、それをやってしまったら同情の余地なく責められてしまっても文句はいえないでしょうな。というか分かってやってんだったらそれはほとんどいじめみたいなもので、人としては軽蔑するしかなくなって来るわけです。

ハラスメントをされた側は人に言えなかったり、我慢したり、情けなくなっちゃったり、あるいは泣いたりしているかもしれないわけですから、原因を作った輩は何様のつもりなんでしょうね。腹でも殴られなさい。

ちなみに個人的な感覚でいうと、パワハラしてるやつは明らかに相手を傷つける目的をもったバカ野郎でセクハラしてるやつは頭のネジがとんだ痛い勘違い野郎という印象です。顔でも叩かれなさい。

知らないうちに法律も定まって来たりしているようで、男女雇用機会なんとか均等法とか改正労働施策総合推進法なんとかがあるようですけど、それがどの程度効果あるかよくわかんないので、つまりはよくわかんないことばっかりです。

自分も気づかぬうちに誰かにハラスメントをしてしまうことや、あるいはしたことがあるかもしれません。さらに言えばどれがハラスメントでどれがコミュニケーションの範囲なのか区別がつかないことも多々あるんですけど、大事なのは相手に敬意とか誠意を持ってるかどうかかなと。相手を傷つけないように、常々意識をしながら社会人をやっていきたいものです。
ソーム

マスクが無い・・・紙も・・・

2020年3月3日
新型コロナウイルスが流行して、マスクが品薄になってます。花粉症の人はマスクがなくて大変な思いをしているそうで。安物マスクが錬金術のように高価で希少なものになってしまって、本当に必要な人にマスクが行き届かないのはなんだかなぁという感じです。というか市販のマスクはあまりウイルスを防ぐ効果はありませんといった話もちらほら出てきて、真偽のわからない情報に右往左往。うおお…

なんだかそれに付随というか影響されて今度はトイレットペーパーも何故か品薄になって、ホンマになんでやねんって感じになっちゃってます。風が吹けば桶屋が儲かるんですかね。実はそろそろ家のトイレットペーパーが切れそうになっていたのでこの状況はほんとに一歩間違えば大惨事ですよ。ほんとに。人の尊厳とかの意味でも。

トイレットペーパーは別にコロナウイルスに影響され無いらしいので、皆さんどうぞ買い占め等はおやめください。みんなが必要なものを独り占めしてしまうような思考は冷静になったときに恥ずかしくなりそうですから。

冷静にね!
ソーム

正義を振りかざす人たち

2019年5月24日
「炎上」という言葉はこの数年で使われる機会が爆発的に増えた言葉です。昔から存在した言葉ですが、使われるタイミングや意味合いに別の要素が加わってきたということですね。具体的には主に不適切なSNSへの投稿に対して批判が集中した時に「炎上」するという言葉が使われるようになり、そしてそれが当たり前になってきました。

炎上するような投稿をした本人は、一体何を考えて人が不愉快になるものを全世界に向けて発信しているのか全く理解出来ませんが、次々とそのような人が湧いてきます。どっかの議員とかなんかの芸能人とか調子に乗ったバイト生とか、浅はかで軽率で短慮という他ないだろうといった人たちが今日もどこかで勝手に炎上しています。そのようなニュースを見るたび、ネット社会に対するリテラシー的なものを個人でもしっかり意識しなければならないと感じる今日この頃です。

そんな人達に浴びせられる言葉は罵詈雑言の嵐です。投稿主に対する配慮など欠片ほども必要無いといった勢いでボコボコにします。今まで投稿主を応援していた人たちや炎上して初めてその人物を知ったという人まで、親の仇なんじゃないかとでもいうような憎しみを込め、闇に葬らんばかりの暴言を叩きつけます。挙句の果てには投稿主の容姿や尊厳や周囲の関係者に至るまでを完膚無きまでにねじ伏せようとします。わざわざネットで炎上ニュースを探し出している人もいてぶっちゃけ超怖いです。それに乗るメディアも言っていることは概ね正論ですし、その風潮をとやかく言うつもりはありませんがただ怖いです。

そんな叩きまくる人たちの思考回路はどんな具合なんでしょうか。「こいつは悪だ。間違ってる。悪いことをしたのだから叩かれて当たり前。許されることではない。自分は正義で良いことをしている」という感じなのでしょうか。

人は良いことをすると快感を抱くそうです。あまりにも大げさに正義を振りかざしている人を見ると、普段のやり場のない怒りやストレスを解消してるようにも見えてしまうのでそれは正義なのか? と疑問を抱くこともしばしばあります。まぁ叩く相手が悪いことをしてるので、正義か悪なんてものはあまり関係ないのかもしれませんね。

少し前に見た記事で、当時九十二歳の小説家である佐藤愛子さんが「今の世の中を一言で言えば『いちいちうるせえな』、これに尽きる」と言っていたことを度々思い出します。どこかとても魅力的に聞こえてしまう言葉でした。煩わしさが何かと多い今の時代に、その言葉一つで迷いなく進んでいけそうな気持ちになります。とってもかっこいいですね。

わざわざ炎上するような愚を犯すようなことはしたくありませんが、何が火種になってしまうかわからない世の中です。そうなってしまった時のために、自分の中に一つでもいいので、迷わず進めるかっこいい何かを持っていたいものです。

ソーム

肝臓さんスミマセン

2019年1月9日
年末年始の連休は何かと忙しい。休みなのに忙しいのは日常のそれとは違って、疲れのベクトルが変わるものだ。お付き合いのある人達にご挨拶をするだけでもなんとも言えない疲労感が溜まる。

ただ、夜になれば久しぶりに合う友人との宴席もあるため楽しみがあるのも確かである。楽しみすぎて普段よりも酒の量が多くなってしまうのは仕方の無いことだろうと、言い訳にもならない免罪符を携えて連日に渡り肝臓さんを痛めつける。

おそらく連休の前と後とでは肝臓さんのくたびれ具合が明らかに違うだろう。酒が好きだとしても体が酒を拒否してしまうレベルになることもあるため、そうならない程度に自制をするということをいい大人としては身につけたい次第である。

一年の計は元旦にありというが、そうであるならば元旦など二日酔いと疲れた肉体のダブルパンチがこの身をリンチしている真っ最中である。すなわち、新年早々あなたが送るこの一年は、「無計画で酒になぶられる一年ですよ」と突きつけられているようななんとも自業自得というか、人の性というかとりあえず目をそむけたくなる一年が始まってしまった。みたいな気持ちになる。いい気分ではないし、願わくば健康的な一年を過ごしたいものだ。

そんな願望とか努力を元旦の一番楽しそうなときにしっかり計画するなんてことは果たしてできるのだろうか。できない気がする……。そのあたりを、でも、だって、の精神でなんとか神様をごまかして自分に甘く過ごしたい。とりあえず、連休中底辺ブラック企業みたいな扱いをしてしまって肝臓さんスミマセン。以後気をつけられるようにがんばります。

皆様あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
ソーム

人は怠けたいのか

2018年6月1日
日々の生活の中で、人は自分の行動を数多くの選択肢の中から取捨選択して決定しています。その中でより楽な選択肢を選びながら日常を過ごしているという人もきっと少なからず居るでしょう。楽な選択肢というのは、ここでは自分が怠けることができるという意味の選択肢です。怠けても問題が無いような場面であれば、その選択をするのは正解の一つであると思いますし、わざわざ苦労をするような選択をし続けるというのも精神衛生上何かしらの問題がありそうですから、心を健常に保つにはある意味必要なこととも思えます。ただ一般的な風潮として怠けるのはいけないことという考え方がありますから、人によっては怠けることに罪悪感を覚えてしまう人もいるかも知れません。しかしながら怠けるのはダメだという考えのもとに例えば無理をして仕事をするとか、睡眠時間を削ってやらなければならない作業をするなどといった行動もブラック企業やサービス残業という言葉がはびこる昨今では時代に合っていないような気もします。なので、やることはしっかりとやりつつ息抜きできるときには息抜きをしてバランスの取れた生活を送ることが、そこそこのちょうど良い人生を送る上での要因になっていくかもしれません。

では、人はそこそこに適度に生きていければ十分なのかというと、それはそれでどうかと思います。なぜなら「そこそこ」という言葉には不満はないですが、同時に満足も無いからです。そういう日々は、人生の中で最高に良かったというような、記憶に残る思い出にはきっとなりにくいでしょう。そのような記憶や経験が無い人生というのはなかなかに寂しそうですし、物足りないものになってしまいそうです。

今までの人生のなかで一番嬉しかった思い出や記憶に残る出来事はなにかと考えてみてください。人それぞれに様々な出来事を思い浮かべると思います。その中にはより豊かな時間を過ごすために一生懸命に行った努力や、あるいはより良い結果を生むために必死で行動し頑張ったという経験も、その思い出を良いものたらしめている要素になっていることもあるでしょう。もしも現在がぼちぼちでんなそこそこですわの生活であったとしても「そこそこ」ではなかった自分がたしかに居たという事実は、自尊心を保ちますし誇りをもてますね。そう考えると人は本来怠けたい生き物ではなく頑張りたい生き物なのかもしれません。

ただかつての頑張った自分というのはやりたいことや、やろうと思ったことがあったからこそ頑張れたわけですから、その時とは環境や状況が違う場合その頑張りたい自分も息を潜めてしまうでしょう。やらなければダメという義務的なものにやる気を出すのはなかなか難しかったりしますよね。そんな時にオススメなのは妄想することです。想像ではなく妄想です。妄想日記的なものを作るのも良いです。妄想には制限がありませんし環境も何も関係ないので、一瞬で自分が望む自分になることができます。コツは現実に抱える問題は一切考えないようにすることと、制限を加えないこと、これから起こるではなく起こって現実化してしまったという前提で妄想することです。目を閉じて存分にいい気持ちに浸ってください。注意として日記の場合は決して人に見られてはいけません。やばいことになります。ひとしきり自分の未来を妄想したらその時の感情をよく噛み締めてみてください。とても良い気持ちになっているはずです。その時の気持ちは、妄想が現実になった時に抱く気持ちですから、もはや精神的には現実に起こってしまったのと変わらないです。妄想をたくさんしてその中で自分が本当にこれをやりたいとか、またやろうといった感情が芽生えたら、かつては過去の自分が作ってくれた良い思い出というものを、今度は現在の自分が未来の自分に向けてプレゼントするということもできるかもしれませんね。
ソーム

髭を生やすこと・・・

2018年4月3日
髭を生やすことは、基本的に男にしかできない楽しみ方の一つです。20代のころに生やして以来、髭をまた生やしてみようかな・・と思って2か月がたちました。「似合うね」という人半分、「やめたら」という人半分。自分の身なりをあまり気にしない性格ですが、髭にたいする世間の目は、何だか少し気になります。自分の場合、生まれながらにして髪が薄く、髭もそれほど濃いわけでもありません。2週間でようやく余計な箇所を剃り、1か月でハサミを使って少し整えるのがやっとです。今はそんなに手入れするわけでもなく、ただ時間にまかせるままに生やしています。

明治、大正、昭和初期のころであれば、髭は偉人が生やすものとしての象徴でありました。自分がこの時代に生きていて髭を生やしたら、下っ端が偉そうな顔をするなときっと怒られたと思います。
髭が似合う、似合わないがあるとは思いますが、ここ最近に至っては、無精髭と言われてもおかしくないような髭を短く生やしたり、口髭やあご髭などのかたちを整えてファッションの一部として捉える若者も少なくありません。いずれにしても俳優のようなイケメンは、どんな生やし方をしてもカッコいいし絵になります。

髭の生やし方によっては、相手に不快な思いを与えてしまう場合もあるでしょう。なるべくお洒落に自分にあった生やし方を見つけるのも楽しみ方の一つです。日本人の場合、西洋人と比べて髭の生え方も違いますし、濃さも違います。とある映画のセリフで、日本人を平たい顔の民族という表現があった通り、堀が深くない顔立で似合う髭の生やし方を考えなければなりません。世界の中には、髭を生やすことは、男であることをアピールする一つの手段と聞いたことがあります。

最近、男の職場でおしゃれに無頓着だった自分でさえ髭を生やしたせいか、きちんと髪をとかしています。メガネをかけて相手に優しい印象を持ってもらうようにも、時おり心がけております。ただ、ごくたまに楽しみながら着ていた着物は、なぜか髭をのばしてから着ていません。日本ではまだまだ髭を伸ばすことに対して偏見とは言いませんが、若干、見た目が悪いとの印象を持たれることがあるのかもしれない・・と感じる今日この頃です。

匂い*臭い

2018年1月22日
世の中には色々な“におい”がある。香水、芳香剤、アロマ、消臭剤。料理、体臭。人それぞれ好きな匂い、嫌いな臭いがあるのはなぜだろう。

自分がこの匂い好きだなーと思ってつけてる香水も、柔軟剤も好きな人が嫌いだったら・・・一緒にいるだけで相手は不快なわけで。

食事をしに行った時、隣のお客さんが香水プンプンだったら。料理どころじゃありません。じいちゃん家の線香の“におい”。古~い家屋の“におい”。服について嫌なんだよなぁ。でも人間、ずっとその“におい”を嗅ぎ続けると慣れて分からなくなるんですよね。車も柔軟剤もそう。自分では“におい”がしてると思わない。

匂いでその人を認識している場合がある。“この匂い○○君のだ!”“あれ?今○○ちゃんの匂いがした!”“○○君の匂い嗅いでると落ち着くな~。”“○○ちゃんのシャンプーの匂いが好き!”“あれ?○○君柔軟剤変えた?”その匂いが好きな人に結びつくんです。会えなくて寂しい時、相手の匂いを嗅ぐだけで幸せな気持ちになった経験、ありませんか?

時には、嘘がバレた。。なんて事も!?“○○君、女の香水の“におい”がするんだけど。” なーんて言われた時には。。諦めましょう。そう簡単に“におい”はごまかせないんです。

スーパーで買い物中、明らかにやばそうな人とすれ違いそうになった時、私は無意識に息を止める。もういいかな?と思い呼吸を再開させるも、甘かった。その方の臭いは強烈過ぎた。いわゆる残り香が。千と千尋の神隠しに出てくる“オクサレ様”登場時の様にスーパーに売っている物が腐ってしまうんじゃないか。実際その場にいた私は、それ程の衝撃を受けた。

自分の体臭に気づいていなくて周りを不快にさせているかも・・・。自分の香水がキツ過ぎて気持ち悪くさせているかも・・・。車内用芳香剤で具合悪くさせているかも・・・。など、毎日毎日気にしてビクビクしながら生きていかなくてはならない。感じることは、人には不快感を与えてはいけないという事。

少しの気遣いと思いやりを持てばきっとうまくいく。。。はず。
*はーと*
匂い*臭い


危険予知

2017年11月6日
工事現場で働いた経験がある方はご存知かもしれませんが、ほとんどの工事現場ではKY活動というものが作業前に行われます。空気読めない活動ではなく、危険予知(KY)活動です。

現場によって呼び方の違いはありますが、基本的には自分たちが行う作業の中でどのような危険が潜んでいるかを明確にし、安全に作業を行うための注意点と行動指標を各々に周知させることが目的です。それぞれの作業員がどこに危険が潜んでいて、どのように行動すれば安全に作業できるかを把握していれば、事故や怪我を避けることができるという考えのもとに行われています。
作業に慣れてしまうとどうしても気が緩んでしまい、軽率な判断や行いをしてしまいがちになるという経験は工事に関係なくとも、多くの方があるかと思います。工事関係の場合、その行い自体が不安全であることに気づいてないパターンもあるので、工事現場での安全行動というのはとても高い基準が設けられていることも少なくありません。
ですが最終的には一人一人の意識が最も重要となります。
安全な作業手順を組み立てていても、その作業を行う本人が手順を簡略してしまったり、ふいに何かに気を取られて事故につながるヒューマンエラーによって事故は起こってしまいます。いくら安全設備に時間と経費をかけていても、起こる時は起こってしまいます。それを可能な限り減らして、安全に作業を完遂させることは、どこの工事現場でも目標とするところです。

この危険を予知する意識は、日常生活でも個人が持つべきものとして認識されつつあるのではないでしょうか。例えばSNSですが、これは誰もが気軽に利用できるという便利さがある反面、SNSがきっかけで事件が発生し取り沙汰されることもあります。
個人間のDMでのやり取りから犯罪に巻き込まれるケースや、撮影した画像から投稿者の住んでる場所や身元が判明してしまうこともあります。誰が閲覧しているかわからないネットの世界で、自分の個人情報が判明するのは今の時代とても怖いですね。インスタ映えとか言ってる場合じゃないです。草も生えません。危険回避の意識がある人は、わざと画像の投稿時間と撮影時間をずらしたり、個人情報が出回らないように上手にSNSを活用しています。現代では生活に密着しているネットですから、個人がどのような行いが危険かを把握し、それぞれにKY活動するのも身を守る一つの手段かもしれませんね。

ツイッターでは、度々炎上する人が現れます。もはや定期です。いじめや暴力、非常識な行いなんてものはシューマッハよりも速く世界の果てまで拡散されてしまいます。気軽にとった行動が、世間でこんなに大騒ぎになるとは予想できなかったという当事者もきっといるでしょう。そこでKY活動しておけば、そんな事態は避けられたかもしれません。
KY活動。耳慣れない人には違和感満載の言葉ですが、その本質は誰でも無い本人自身を守るための行いです。今までの生活を安穏と過ごしていて、後ろめたいことをしたり、何も考えずに危険に足を突っ込んでいたということをもしも自覚したのであれば、それまでの行いを悔い改めて、誰にも恥じることのない生活を送っていくこともまた現代における一つのKY活動と言えるかもしれません。
ソーム

隣の芝生は青い

2017年9月22日
自ら持っていないものや手に届かないものが魅力的に見えてしまうのは人の性なのでしょうか。
いつの時代も人は奪い合ったり欲したりしていますね。権利や金銭やコレクションやフォロワーなど色々です。
そして概ね欲望を満たせる何かを求め、今日も人は誰かの旦那や妻を奪います。

世間では有名人によるこの手の話題が尽きません。不倫をテーマにしたドラマが話題に登ることも少なくないですね。平和なような平和でないような不思議な気持ちになります。この手の議論は論点が沢山あるでしょう。
法律や制度、または倫理観や生物としての本能、環境などなど、私のように専門的知識を持たない素人では、熱をあげて論じるには手が余りそうです。ですが話題にのぼると盛り上がります。盛り上がるというのは少し語弊があるかもしれませんが、いつも一定の注目を集めるテーマのような気がします。安定感があるというのでしょうか。

多くの人のなんとなくの興味をかき集めますし、野次馬根性を芽生えさせます。浮気や不倫といったことは蔑まれようが肯定されようが関係なく、人々の生活からは切り離せないことなのでしょうかね。
だからこそ話題性があるのかもしれません。
もちろん最愛の人を一生愛する人も沢山いますが、雨上がりに決死の隊列を組んで魔が刺しまくる人がいたり、世界の果てまではもういけなくなった人がいたり、私生活がサスペンスドラマの帝王になってしまう人がいるのもまた事実です。
ただこの手の話題はメディアで繰り返し報道されすぎていて個人的にはもうお腹いっぱいです。

もーいーじゃん 自由じゃん にんげんだもの。

秘密が発覚して、これでもかというくらい叩かれて、家族や世間様に平謝りする人は自業自得なのでしょうか。まぁ何もお咎めなしというわけにはいかないでしょうね。社会で生きているからには社会のルールがあり、それを破ったわけですから。
裏切られた側からすれば何かが余って憎さ100倍どころでは無いかもしれません。ただ不倫した本人が後悔など全くしていなくて前向きに相手と人生を歩んでいるという事態ならば、もはやそれはただ最愛の人を見つけただけのこととも思えます。清々しいですね。そんな事態があるのかは不明です。地球のどこかではありえるでしょうか。

そんな場所は地球の裏側かもしれませんし、すぐ近くの人里離れた集落かもしれません。
もしそんな場所があるのであれば、いろいろなことにも寛容そうでとても良いですね。
自由な楽園でしょうか。
楽園はきっと良いものです。
あとハワイも良いです。
バリ島も。
タヒチでも。
もうどこでもいいから行きたいです。
浜辺のハンモックで風に揺られてお気に入りの本を読みシャンパンを飲み夕方からは仲の良い友人たちとバーベキューをして次の日はお昼ごろに起床してゆったりコーヒーでもすすった後には青空の下オープンカーでドライブをしてディナークルーズにお呼ばれして美味しい料理に舌鼓をうつ。

そういうひとに私はなりたい。
ソーム

地層の面白さ

2017年8月29日
株式会社常磐ボーリングが創立60周年を迎え、ほぼ同時期に代表取締役であった2代目の私から次世代の3代目に交代いたしました。

人間の私から見ると長いようで短いような時間ですが地球誕生から比べると瞬きの瞬間にも満たない一瞬の出来事です。
過去に会社で利用している専門誌に小さい子供達がきれいな川の川岸で遊んでいる広告を出していましたが、その川の両側にある崖の地層は今も何の変化もなく平然と素肌をさらけ出しております。厚い泥岩に挟まれた薄い貝殻層を挟んだ風化した層の下部にはよく見ると玉砂利の砂岩が僅かにあって、また厚い泥岩層があります。崩れた岩の岩片を拾い、何十万年も前に海面下で堆積したシルト層が固化し考えられないほどの歴史の時間を費やしたその岩を今持っているのだ、と思うと不思議な感覚に襲われます。崖を細かく見ると一様ではなく完全な層境を持ち、それは素人の目から見ても自然の突然の大異変による堆積物の変化しか考えられなくなります。何があったのだろう?実に面白い想像が頭の中で行ったり来たり、ロマンにかられてその異変を想像します。

対面の崖には硬い泥岩が斜めの線を境に隣は別な層になり、その硬い泥岩層はかなり下にずれ落ちています。これが断層かな?と今回のような茨城県~福島県浜通りに起こった断層地震の凄まじさ以上の過去形の姿が見えます。ある日突然横揺れもなく真下から突き上げられるような直下型断層地震の怖さは今回ばかりでなく神戸でも起きてます。つい先ほどまで平坦だった地面が断層を境に数十センチから1mほどの段差が出来てどちらが下がってどちらが上がったのかわからなくなります。建造物の支持杭がたまたまその上にあったのであればひとたまりもありません。基盤岩と呼ばれる硬い層に支持杭を打ち込んだのにその基盤が突然持ち上がったり下がったりしたのでは上部構造物も簡単に崩れてしまうのです。想像をはるか超えた力は怖いですね。

人間は知能を獲得して生き延び、その技術力に依って地球表土の薄皮部分を開拓し住処を作り生活しております。生きているからこそ住みやすい環境を作り日々悩みながら努力しています。それを考えると自然を利用しながら共有することもあるし、守るために戦うこともあるんですね。推進は戦う部類に入るかもしれません。誰かの言葉じゃないけどあれから30年。崖の地層の最上部のまだ1mmの堆積物にもなりませんが推進の技術は凄い勢いで進歩し不可能を可能にしながらまい進し続けております。しかし時には体を休めてそのような 身近なものを観察すると意外に想定外の事実がいつでもこの地球上で起こる可能性を事実として受け止めることができるのです。 瀬谷 陽一

とある「このハゲ」発言について考える

2017年7月21日
私はハゲです。年齢30歳。日々ハゲとの戦をしています。
最近のニュースで、とある女性議員が秘書に向けたこの発言。非常に話題になっています。

芸能人でよくハゲを売りにして売れっ子になっている芸能人は多くいますが、実際の世の中には薄毛に悩んでいる人達がハンパじゃないです。禿げてない人にはなかなかわかりにくいかもしれません。AGAに対しての薄毛治療・薄毛対策品の売上は6,000億~8,000億とされており、不景気にも関わらず売上は未だに伸びているらしいです。治療の9割を男性が占めており、ここ最近ではハゲ予防、ヘアケア成分が含まれている高価シャンプーはやはり安定した売上を残しているのではないでしょうか。

これは、薄毛を気にしている人が少ない小遣いの中、それはそれは必死になって髪の毛ケアをしているのです。ちなみに女性美容品の総売上が約2兆円らしいので、薄毛対策にかける現代の男達の情熱はこれをみてわかると思います。

現在、薄毛治療は海外の技術が日本に取り入れられ、美容外科等で治療を受けます。
それらは保険がきかないため、非常に高額なものになります。薬代だけでも月2万程度。

ハゲと言われイジメや、精神的苦痛をなんとかしようとしても、お金が無ければ何も出来ないのが日本の現状です。というかハゲに対してあまりにも厳しい風潮は、禿げている私にとって本当に悩みのタネです。ハゲていない人はもしかすると軽い気持ちでハゲている人にハゲと言ったり、いじったりをしているかもしれませんが、言われた方は結構なダメージを負います。また、何も言われないのも傷ついたりします。目線だけ頭部に向かって何も言われない。ハゲは気づいています。あなたが見ているのを気づいています。とっても繊細な事柄ですので、あまつさえ怒鳴り散らしながらこのハゲなんて言ってしまった日には、当人の怒りを買って色々録音されてYou Tubeにアップされたり、連日テレビで流れたりしてしまう可能性もあります。ハゲもハゲたくてハゲたわけではありません。むしろ、ハゲている人はその悩みを解消するために様々な解決法を模索します。従って、そこには大きな経済の市場ができているはずです。世に貢献しているのです。

ハゲを見下すこと無く、ハゲもハゲていない人もお互い住み良い世の中になることを切に願うばかりです。

第一課長
呑んだくれ
設計積算依頼